今からおよそ25年前、「南の島で暮らしたい」という 誰もが夢見る生活を実現してしまった日本人画家がいました。 宇喜多邦嘉、1938年生まれ。 当時彼は日本の広告業界で有名な、売れっ子アートディレクターでした。 しかし、その名声を捨て、1982年秋、大好きな海に囲まれたサイパンで 「絵描き」として暮らすため、輝枝婦人とともにサイパン島・虹の谷で 生活をはじめました。 2003年、 宇喜多さんは多くの人に惜しまれつつ、ここ、サイパンで 病気の為、なくなりました。 そんな宇喜多さんがのこした沢山の素敵な作品を どうぞご覧ください。
サイパンとの出会い 70年代よりアートディレクターとして日本の若者文化の最先端をリードしてきた宇喜多さん。彼に舞い込む仕事の依頼は後を絶たず、健康を害する程多忙を極めていました。そんな時、疲れた身体で海岸に行き海を眺めたら、まぶたに焼き付いていたレイアウト用紙のマス目がふと消えたそうです。それから、彼は以前に仕事で訪れたことのあるサイパンに生活と創作活動の拠点を求めて、高い高い飛び込み台からサイパンという場所へ勇気を振り絞って飛び込む決心をしたとのことです。 左にあるのが、その時輝枝夫人と共に昼食をとっていたレストランのナプキンに描いた決意のイラストです。 お二人の決意のジャンプ!ですね。
82年秋。本格的にサイパン島での生活が始まり最初に描いた作品が、流木を使用した「タナパグラグーン」と「マニャガハ」。水も電気も不自由な当時、現地で画材などは手に入る筈もなく、それまでに訪れた海岸やサイパンの浜辺に何処からともなく漂着した何の変哲もない流木を画材にした、サイパンでの生活が日の浅い頃の作品です。 海岸で拾い集めた流木の上に風景を描いた「流木シリーズ」は、ここでは紹介しきれないほど沢山あります。宇喜多さん独特の緻密な手法は、彼が単なる絵描きではなく、全ての素材に彼の創造の命を吹き込む芸術家であることの一面 を垣間見せてくれます。 「タナパグリーフ」は、波の線の上に白いアジサシの類が数羽戯れています。朝の浜辺の風景でしょうか。澄み切った空気の中、遠くから鳥のさえずりが聴こえてきそうな、清清しい作品です。 「マニャガハ」は、幅が僅か2.5インチの横長の窓にマニャガハ島の遠景をすっぽりと収めてしまった絵です。遠大な景色を、その風景を変えることなくとても小さな窓に表現してしまう、可愛らしい魔法のような作品です。
サイパンでの生活 生活に選んだ地は、島の中央部北の「虹の谷」。今でも木々に囲まれた静かなところです。この地を選んだ時には未だ道も無く、生活を始めた頃にはやっと電気と水が使えるような状態だったと言うことです。輝枝夫人曰く「その頃は、この場所からタナパグのラグーンが一望出来たの。でも、月日がたって周囲の樹木が生長したのね。いつのまにか海を見通 せなくなってしまったわ。もう25年も居るから仕方ないわね。」と、宇喜多さんとの「虹の谷」での生活を想い遠くを見るような目で語ってくれました。自宅のテラスの壁に描かれた、李白の漢詩に話題が移ると、「これはね、私が出かけている間に描いてしまったの。可笑しいでしょう。見て、床にまではみ出してお花なんか描いてしまって。」自宅の壁に描いた漢詩は、筆で何も力まずに描かれたようで、宇喜多さんの多才振りには驚いてしまいます。しかも、最後には漢詩を英訳したものをそえて、その上には山水画が描かれています。どのような思いで描かれたかはわかりませんが、宇喜多さんのお人柄が偲ばれる作品の一つだと思います。
まとめて4点をご紹介しましょう。このタッチはいずれも一目で宇喜多さんの絵とわかる作品です。ミクロネシアの民話を題材にした、「島をけとばした巨人」や「釣り上げられた海の底の島」は鮮やかに彩 られた南の島の色と独特の幾何学模様を配した構図、躍動する人々とその表情が、絵そのものを動きのあるものにしています。また、ご自身の世界を奔放に描いた「空飛ぶアウトリガー」は、アウトリガーカヌーが大海原ならぬ 宇宙に船出する様子を描き、そこに集う人々が楽しそうな情景は、そこから軽快なリズムの音楽までもが聴こえてきそうな絵です。この絵の中のカヌーは、天の川の流れに乗って遥か彼方まで行けそうな、そんな気さえします。
宇喜多さんは散文詩を書き加えた「パラダ椅子シリーズ」という作品群を残しました。南の風俗や風習を描いたもので、独特の世界を醸して南国情緒を更に深めています。“島は太古の記憶に生きる、土も炎も、歌も踊りも嘘をつかない。”という詩と共に、島の女性を描いた作品の風情は、太古の島に思いを馳せたものでしょうか?
「宇喜多邦嘉という芸術家は、一言で表すなら一般の方よりも太く短く人生を過ごしてしまった。そんな感じですね」。「主人が亡くなって4年経ちますが、ようやく最近になり主人の作品を見ることができるようになりました」。と輝枝夫人は語ってくれました。 宇喜多さんのアトリエと生活の場が一緒であったため、数多ある画材や筆は現在もあちこちに所狭しと目に見えます。取材で訪れた我々には、宇喜多さんが隣の部屋からひょいと出て来て、歓待の挨拶をしてくれそうな錯覚を覚えるほどでした。 「普段は静かな時に仕事をしていましたね。夜の時間はより集中して仕事ができたようです。集中すると寝ずに朝まで仕事をしてしまうことが常でした。彼は、身体を休めることができなくて、創作意欲が一度湧いてしまうと、それを止めることができない人でした」。 輝枝夫人も驚くほど、未だに見たことのない作品が出てくるそうです。宇喜多さんが寝るのも惜しんで創作活動に専念したことは、取材班が目を見張るばかりの膨大な作品群を目の当たりにした時に知らされることになりました。
様々な南国の花々が咲き、フルーツが実り、鳥が飛び交う庭が眺められる家のテラスには、大きなオブジェが置かれています。輝枝夫人曰く、『これはね、世界中の海や島々で拾ったりした流木や貝殻などをこうして形にしたもの。本人は、建築家ガウディを意識して作ったみたい。子供のように「ガウディだ、ガウディだ」と言っていました。創作活動というよりは、楽しみとしていたようね」。 輝枝夫人は、宇喜多さんが夫人宛に残した励みの言葉を披露してくれました。「痛みをともなわない努力は、なにも生みださない。限界を超えること。根気 元気 のんき」 特集の最後に、宇喜多さんの絶筆となった詩を右に紹介しましょう。 今、宇喜多さんは、夢溢れる「ココネシア」で時にはイルカのように海を自由に泳ぎまわり、時には海鳥のように大空を飛翔しているように思えてなりません。合掌。 そして、この場を借りて輝枝夫人のご協力に、編集部一同心より御礼申し上げます。